これを選ぶに至るまでに母は考えた

子育てと趣味と仕事の両立を目指す日々の工夫とか。建築も少々。

2,3歳児との押し問答に疲れてきたら読む本/怒らないですむ子育て: そのイライラは手放せます

臨月に入り、気持ちはすっかり出産へと向いていますが、最近困ってしまうのは2歳8ヶ月の娘との押し問答。
小さな嘘をついたり、手がつけられないほど泣いたり外で座り込んだり、赤ちゃん返りなのかよくわかりませんが、うんざりすることもしばしば。とても話の通じるお姉さんになったなぁと思う時もあるんですが。
そんな中で読んでみたのがこの本。

親が怒ってしまう心理を客観的に分析するとともに、それが子どもにどのように影響を与えるのか、頭できちんと理解できるように説明されています。その結果、とても癒しを感じる。
微笑ましくあたたかみのある写真が添えらていて、とても優しく頼もしい本です。
心に留めておきたいポイントをまとめておきます。

怒りとは「自分は困っている」と知らせてくれる感情

怒りを感じたときの対処法の3step

  1. 「自分が困っている」と自覚する
  2. 「自分の期待と現実がズレたから」と理解する
  3. 自分の期待は「現実的なもの」かを考える

ママの「怒りのコントロール」がきかなくなる3つの理由

  1. 子どもに対する「役割期待」ズレ
  2. 自分が「被害者」になった感覚
  3. 予定が狂ったことによるパニック

確かに自分が子どもに怒る時、私はものすごく困っている!
そして「なんでそういうことするの!」「おかあさんにイジワルしたいの!?」「間に合わないじゃん!」怒りが爆発してしまって、そんなこと言ってもしょうがないとわかっていながら口をついてでてしまう言葉です。

子どもに合った期待をしているのか、それを一度見つめ直すこと、そして、「困っている自分」を自分で優しく受け止め、子どもにある意味助けを求めるという姿勢のほうがうまくいくのかもしれません。

親に対する子どもの無条件の愛

「〇〇すれば」という条件つきの愛に対して、自分が何をしようと、何を感じようと、ありのままを愛してもらえる「無条件の愛」。多くの人にとって子どもをもつことが、自分が無条件に愛される初めての体験となる、この言葉に衝撃を受けました。
子どもを持つも持たないも個人の選択だから、というのは以前自分も持っていた感覚ですが、「子どもを持てる可能性があるなら飛び込んだほうがいい」という気持ちに変わりました。その心境の変化に「ただ可愛いから」ではなく絶対的な違いを感じていながらそれが何かわからなかったものですが、「これだ!」と得心がいきました。
祖父母が全員亡くなった時、「私に起こった幸せを全て心の底から喜んでくれる人は、もう世界に両親しかいない」と感じ、とても寂しく思ったことがありました。私は祖父母や両親から愛されて育ったとは思いますが、わりと優等生でもあったので、「どんな時でも何をやらかしても」変わらず愛してもらえたか(もらえるか)は絶対の自信があるものではありません。
少なくとも今の娘は私の人格がどうであれ、心の底から私に愛を向けてくれている存在です。いつのまにかそんな無条件の愛を浴びることに慣れてしまっていました。けして子どもは私を困らせようとしているわけではないということです。

怒ってしまう「あるある」ケーススタディ

忙しいときに限って駄々をこねる

→「ママを助けて」
怒ってしまうケースとして「あるある」と感じる場面がいくつか紹介されています。
出がけにロクでもないワガママを言いだして予定が狂ったことによるパニックで、雷を落としてしまうのは1番よくあるケース。

忙しい親の態度に自分の存在が忘れられたかのように感じて不安になってしまう子どもの心理が原因。「困っちゃった。助けて!」と一緒に頑張る構造に持っていくことは効きそうな感じがします。(お姉ちゃん気質なうちの娘はとくに)

以降は私がほとほと困ってるケースについてのメモ。とても納得のいく内容なので本書を是非読んでみてください。

気が散って、食事や着替えが終わらない

→「綱引き」をやめて、「ワクワク」に変える

同じことを何度言っても聞かない

→「期待」が現実的でない可能性が。できない理由がどこにあるのかインタビュー。

公共の場所でマナーが守れない

→子どもは基本的に親切な存在。「人目」ではなく、困ってる人がいるからという「人の気持ち」でマナーを教える。

子どもがささいなウソをつく

→子どもが嘘をつくのはごまかす以外の問題解決法を知らないから。

自分から「ごめんなさい」が言えない

→怒られた!失敗した!で「頭が真っ白!」状態。その場で謝罪すること自体ではなく「自分がしたことの社会的な位置づけ」を知ること。落ち着くまで抱きしめる。

できないことも「自分でやる!」と言い張る

親の役割は「子どもが小さいためにまだできないこと」を考慮しつつ「子どもが本当にしたいこと」をできるだけ実現していくこと。それが子どもの自信、自立を促すので、子ども自信に「自分がまだ小さいからできないこと」を学ばせる意味はない!
夕飯作りのお手伝いなど結構そういう気持ちで頑張ってると思うんですけど、夕飯作りの間中、冷蔵庫の前の踏み台で仁王立ちしながら出し入れの門番やられてると最後の方にはイライラしちゃう。

「何とかなるだろう」自己肯定感の強い子を育てる

「何とかなるだろう」という感覚に基づく「信頼の子育て」が自己肯定感を育む。親たち自身も「何とかなるだろう」という感覚があるから、日常生活が成立している。(心配し始めたらキリがない!)自分に対しても他人や社会に対しても「なんとかなるだろう」という信頼を持てることが安定した気持ちで日常生活を営むのに大切なこと。

「ちゃんとあやまれる」ママになる

思春期前のこどもは「親には親の事情がある」ということを知らないので、「親の不機嫌」=自分がいい子にならないといけない、自分のことが嫌い、と受け止めてしまう。「何とかなるだろう」という感覚を作ることへの妨げとなり、人や自分に対する信頼感が損なわれてしまう。感情的になってしまったらきちんと謝らないといけないということです。逆に自分の気持ちをきちんと伝えてきちんと謝り、求めればちゃんと応えてくれるという信頼関係が築けるならば、多少感情的に雷を落としても自己肯定感は育めるはず…と解釈しました。

なかなか実践は難しいけれど、少し変わったと思えたこと

娘がパニックで泣き出してしまったときや娘と私の間で諍いが起きたときに、ひとまずその場から離し(最低向きを変えるだけでも)ギュッと抱きしめて、話をするようにしてみました。
パニック状態ではどんな言葉も届かないし、きっかけがないと気持ちを変えられないし、まずは娘のことを受け止めるという意思を伝えようとしてのことです。
これは意外と効果的。
ほんの少しですが、和解への時間が早まる気がします。
抱っこをしたりギュッと抱きしめるにも臨月のお腹では、苦しい限りですが、娘は生まれてから当たり前だった「我が家で唯一無二の存在」という立ち位置が脅かされようとしているこの1ヶ月。不安定にならないほうがおかしいはず。できるだけ、娘と2人きりの時間を大切に過ごしていこうと思います。